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2011年01月25日
落語家 北山亭メンソーレ
落語家 北山亭メンソーレ
本名 山城伸伍
略歴:
1982年 今帰仁出身 18歳まで今帰仁ですごす
2000年 琉球大学入学 落語研究会に入る
2004年2月
第1回『第一回全日本学生落語選手権・策伝大賞大会』優勝!
2004年4月
立川志の輔師匠の弟子入り
『立川メンソーレ』という寄席名をいただく
2010年2月 廃業して帰沖
帰沖後 『北山亭メンソーレ』と名乗る!!
現在は、今帰仁で家業の農業を手伝いつつ、
落語や司会など、マルチに活躍中!
ブログ 山城『笑』店業務日誌
facebookファンページ 北山亭メンソーレ
2011年01月25日
崎山の位置、境界
崎山は、今帰仁村の中央部よりやや西部に位置し、集落は部落の中央部に集中している。
西は仲尾次区に隣接し、南は本部半島循環線をはさんで上原、与保城原に達し、謝名区を境にし、南北に長く東西にジニンサ橋の下を東に流れる川沿いの大畔(おおあぶし、戦前はそのように呼んでいた)を通り、下流の港川を境に平敷区に接し、北と東は炬港(てーみなと)と東支那海に面している。東原より伊佐良原の海岸線は断崖絶壁で吹き付ける冬の北風をまともに受けていて、潮害を防ぐため北の海岸線一帯は防潮保安林が繁茂し農地を囲んでいる。東原(あがりばる)、宇佐原(うさばる)、伊佐良原(いさらばる)、大新地原(ぷぷあらじばる)一帯は平坦で農耕地に適している。上川原(ういがーばる)、前田原(めーたばる)は盆地や水田地帯であったが、昭和48年3月着工の土地改良事業によってやや平坦地になり農地として面目を一新している。幸地迫原(こうちざふばる)、桃原(とうばる)、港原(なーとばる)、東原の一部は原野と森林に囲まれた丘陵地帯で今は農耕地に適さない。戦前は風が避けられた温床で農作物が繁茂していた。
引用 崎山誌 平成元年8月
西は仲尾次区に隣接し、南は本部半島循環線をはさんで上原、与保城原に達し、謝名区を境にし、南北に長く東西にジニンサ橋の下を東に流れる川沿いの大畔(おおあぶし、戦前はそのように呼んでいた)を通り、下流の港川を境に平敷区に接し、北と東は炬港(てーみなと)と東支那海に面している。東原より伊佐良原の海岸線は断崖絶壁で吹き付ける冬の北風をまともに受けていて、潮害を防ぐため北の海岸線一帯は防潮保安林が繁茂し農地を囲んでいる。東原(あがりばる)、宇佐原(うさばる)、伊佐良原(いさらばる)、大新地原(ぷぷあらじばる)一帯は平坦で農耕地に適している。上川原(ういがーばる)、前田原(めーたばる)は盆地や水田地帯であったが、昭和48年3月着工の土地改良事業によってやや平坦地になり農地として面目を一新している。幸地迫原(こうちざふばる)、桃原(とうばる)、港原(なーとばる)、東原の一部は原野と森林に囲まれた丘陵地帯で今は農耕地に適さない。戦前は風が避けられた温床で農作物が繁茂していた。
引用 崎山誌 平成元年8月
2011年01月22日
崎山公民館の変遷
第二次世界大戦により字事務所は戦災に会い、終戦後、昭和21年6月青年団員の一致団結によって、青年クラブが建設された。字事務所ができるまでは、この青年クラブを利用していた。
昭和22年12月赤瓦葺(六間四間)の本格的な木造の事務所を建設した。その建設と同時に青年クラブも西側に移動して事務所と床つなぎとして大集会には中戸を開けて一つのホールとして使用していた。
昭和42年2月村内ではじめて鉄筋コンクリート建ての事務所を建設した。
昭和62年9月に公民館の増改築が行われ、現在に至っている。
写真は、上昭和22年 下昭和62年
引用 崎山誌 平成元年8月
2011年01月22日
崎山共同売店の歴史
崎山の共同売店の発足は、大正3年頃部落の公金を利用して始められた最初である。当時はごくわずかの生活必需品の販売であった。しばらくして部落内に行商人が入り、運営状況が悪くなり、解散することになった。
終戦から10年、昭和31年に共同売店が実現。部落一円とする株組織とし、一戸一株の持株に限定した。販売開始は、昭和31年旧暦5月5日の泉拝(かーうがみ)、弁当折目(うゆみ)の日であった。日常生活必需品はもちろん、肥料、家畜飼料等不自由なく販売した。順調に売上を伸ばしていた。
昭和45年9月より株組織による運営は一時中断、請負制に切り換えたが、昭和50年9月より再び株組織による運営に切り換え現在に至っている。
写真は、上昭和31年 下昭和38年改築
引用 崎山誌 平成元年8月
2011年01月17日
リンク
今帰仁村村役場
今帰仁城跡
今帰仁村歴史文化センター
崎山共同売店
cafe ohana
ありがとうカフェ今帰仁
南国の宿 Hale Ohana (ハレオハナ)
今帰仁の宿 海乃宿うるまんちゅ
レンタルボックス 夢空間
ありがとう総合研究所
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崎山共同売店
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2011年01月17日
2011年01月17日
2011年01月17日
崎山の神ハサギ
崎山村の祭祀は中城ノロの管轄である。崎山にノロドゥンチの祠があり、中城ノロの住居があった痕跡がみられる。旧暦6月最後の亥の日にノロドゥンチを拝み、そこから崎山・仲尾次・与那嶺・諸喜田・兼次の5ケ村を神人は弓やナギナタなどを持ち、ノロは馬に乗って祭祀を行っていたという。崎山の神ハサギは茅葺き屋根や石柱・タモト木などがあり、村々にあった神ハサギの古い形を遺している。